五輪グループスタッフ紹介

五輪整骨院のグループ会社とスタッフをご紹介致します。

スタッフ紹介
五輪整骨院

院長 : 斉藤 三夫(さいとう みつお)

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(1962年10月6日生まれ)気仙沼出身。施術家。大のゴルフ好き。
南気仙沼小学校・PL学園中学・高等学校・亜細亜大学・赤門鍼灸柔整専門学校卒

人物

1962年以来気仙沼の旅館南荘で育つ。南気仙沼小学校卒業の後、中学・高校と大阪のPL学園にて厳しい学園療生活を送る。
中学は野球部、高校は軟式野球部に所属、一年時にベンチ入りし大阪大会準優勝。2年からはローラースケート部に所属。大学からは一転し空手道部に入部、4年間武道の道にどっぷりとつかる。
4年時には主将を務め、4年間の中で一番稽古をし、道場内でも一番の練習量をこなす。この時先頭を切って稽古に励むことにより、後輩の模範となることが技術を上げる最良の方法だと気づく。
大学卒業後、父の跡を継ぐべく赤門鍼灸柔整専門学校に入学。2年間で柔道(二段)と少林寺拳法を学ぶ。医療の道に入るが、この頃は勉強せずに遊びに夢中になる。何とか国家試験に合格した後、四年間のインターン時代に突入。
世のバブルの恩恵には全く預かることなく、臨床の世界でもがきまくる。
この頃から父の行っていたカイロプラクティックのセミナーに出席しだすも、技術が身につかずさらにもがく。
インターン時代は仙台の師匠には人柄を学ばせて頂き、栗原の師匠には外傷を大いに学ばせて頂く。このころ「神中整形(全1300ページ)」を貪り読み、骨折・脱臼を始め外傷の臨床を経験させて頂く。
平成3年3月に仙台若林区遠見塚で「遠見塚接骨院」開業。まもなく結婚し二児の父となる。平成3年の開業以来現在までに、患者さんから得た収益はことごとくセミナーや本の購入に充て、一軒分の家が建つほどの金額を注ぎ込み勉強をしまくる。
開業5年後に北仙台に移転し「さいとう整骨院」開院。平成12年に「だいのはら整骨院」二院目を開業し全盛期を迎える。
平成17年「さいとう筋整復院(後の泉カイロプラクティックセンター)」三院目を開院。完全自費診療で技術を磨く。抗重力バランス治療を考案する。
カイロプラクティック・PNF・オステオパシーに留まらず、経絡・三軸修正・整体などあらゆる手技を学びまくる。
筋膜を基準に考えることでこれまでの手技が全てつながり始め、オステオパシーを中心に独自の手技を開発する。
平成23年より五輪整骨院にてオステオパシーをメインに、スポーツ選手を始め多くの方に膜の調整による「抗重力バランス治療」を行いながら、プロポーションやダイエットを含めたメタボリック撲滅に関する啓蒙活動も行っている。

 

エピソード:何度か死にかけている。

一度は5歳の頃、神社の屋根から落ちかけたところ、兄の大仁に背中をつかまれて九死に一生を得た際「兄ちゃんは命の恩人だ」と叫ぶと同時に、助けてもらったことに心から感謝をする。2度目は大学時代、配管のアルバイト中に7階建てビルの映画館(4階)の天井裏を誤って(故意に)踏んでみたところ、穴があいて10数メートル下に落ちかけたことがある。
詳しくはブログ参照のこと。
交通事故で死にかけ、むち打ち症になったことがある。むち打ち症のつらさを身にしみて感じているため、上部頚椎を含め内臓治療を絡めた「膜」の治療をする必要性を痛感、現在は交通事故や転倒による障害には自信をもって施術に当たっている。
一時、山に修行しに行きたい衝動が抑えられなくなった時期があるが、家族の存在により断念する。
ゴルフの飛距離を伸ばすためテニスのスクールに入会した時期あり(45才当時)。元々器用なのでゴルフを意識して左利きと偽り左手で行ったところ上手だったらしく「本当に初めてですか?」とコーチにびっくりされる。一年後初中級に進み始めた頃にはテニスが面白くなり、真剣に取り組もうと右手に変え、コーチに「えっ、右利きだったんですか!?」と、さらにびっくりされる。
現在も頭の半分はゴルフで埋まり、残りの半分は治療のことで一杯になっている。時としてその比率は変わるものの、この二つでほぼ満杯のようだ。
また世の中に正しいことはないことを知り、「正しい人」より「楽しい人」であるべきだと悟る。とくに飲み会・ゴルフで発揮される。

 

こだわり

膜(Fascia)を対象に検査・施術を行うオステオパシーに魅せられて、その道の追求を使命として30年になろうとしている。
技術を追い求めながらも、一生懸命さだけが自分の取り柄だと自覚している。患者さんの喜ぶ顔が見たくて今日も診療に励む日々が続く。
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